NGO SESCO 論考 NO.33号 格差社会

 NGO SESCO 論考 NO.33号 格差社会


 アメリカの大学では入学者選抜において「アファーマティブ・アクション」を採用している大学が多いと聞く。これは「積極的差別是正措置」と訳され、入学試験において黒人や少数民族を優遇する方針である。アメリカにもう奴隷制度が無くなったとはいえ、現実には貧困や差別から教育を受けられない若者も多く、これらの学生を救済するための制度でもある。しかし、入学者の数は限定されているので、黒人や少数民族が優遇されると、結果として白人やアジア系の学生が成績優秀でも入学出来ないことになる。これは「差別だ」と裁判の動きが起きている。保守派(差別の撤廃)とリベラル派(多様な学生を確保するための要素として人種を考慮する)の考え方は正反対で裁判も行われており、連邦最高裁が今後どの様な判決を出すのだろうか。

 私は海外旅行が好きでコロナ禍(下)前は短期ながら毎年一人旅を続けてきた。旅の途上散見される各国の状況は様々であり、とりわけ貧富の差を感じさせる事も多い。ロンドン、パリ、フランクフルト、ワシントン、トロントの豊かさと比べ、パナマ、ガテマラ、DRC・キンシャサ、アジスアベバ、バングラデイシュ・ダッカ、マニラ郊外を訪ねた折感じる佇まいの印象は当然ながら大きく異なっている。更に昔のナイジェリア・ラゴスや近年のケニヤ・キベラのスラム街などはその最たるものである。


 子どもがどんな家庭に生まれ、どれだけの健康と能力に恵まれ、裕福に暮らせるかどうかなのは、幸せに直結する重大な要素であるにせよ、それらに平等を求めるのは決して正しい見識とはいえまい。競争や財産所有の自由が認められている資本主義社会では、貧富の差が生じるのはやもう得ないとして容認されなければならないであろう。

 一時期話題になった小学校運動会の競争で「お手々つないでゴールイン」式の平等主義が蔓延した事があった。愚かと言うほかない。個々の体格や運動能力、また努力によっても結果に差が出るのは自明の話で、むしろこの「結果の不平等」こそが自らの向上心を育む要素である。現実社会はこうした不平等に満ちていることを知り、親も教育者も子どもたちに明確に教えるべきである。子どもに高い学力をつけさせるには、塾の費用や学費など相当な金額が必要になる。親の職業や収入によって子どもの将来が決まってしまうという厳しい状況は統計的にも証明された現実がある。格差社会は昔の身分階層社会の如くスタート時点で既に差がつき、それを本人の努力だけで取り返すのは極めて難しい。ではどうすれば良いのだろうか。

 アメリカはいざ知らず日本の格差社会は、平成初期のバブル経済崩壊以降顕著になった。それまでは頑張れば何とか上を目指せるという希望が広く国民の間にあったと思われる。希望さえ持てれば、たとえ今は苦しくとも明日を夢見て前に向かうことが出来る。未来を生きる子どもたちが一人残らず希望を持てるような社会を作る事が望まれ、そのために先人は何を残す事が出来るだろう。政府、行政、企業、学界、社会一般が民度を向上させて「熟慮断行」実践躬行しなければならない。


 <引用・参考>
清湖口敏 「言葉のひと解き」 産経新聞 2022.12.30
追記 「教育格差」の観点からでは、弊著『人と地球をたずねて』(竹林館2021.4. P256 )の書評 松岡亮二著『教育格差―階層・地域・学歴』(ちくま新書 2019.7)で取り上げている。「出身家庭と地域という本人にはどうしようもない初期条件によって子供の最終学歴は異なり、それは収入・職業・健康など様々な格差の基盤となる。つまり日本は、『生まれ』で人生の選択肢・可能性が大きく制限される。『緩やかな身分社会』、なのだ(後略)。」

エチオピア大学 2016.9
キベラの小学校 2015.9
ジョージワシントン大学 2017.3
ワンワールドフェスティバル 2023.2.4
吹田市 小学校 2023.1


 2023.2.10
NGO SESCO 副理事長 深尾幸市

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