NGO SESCO 論考 NO.50号 「ディアスポラ・離散」と余話
世界各国で移民問題が大きな課題になっている。例えば7月7日に選挙が行われたフランスの場合、移民らが極右政党「国民連合・RAN」の躍進に警戒を強めている。RANは公約で移民への様々な制限を掲げ、家族呼び寄せる条件を厳格化するほか、不法滞在者の医療費を補填する制度を廃止して緊急支援に限定する。欧州各国イギリス、イタリア、ドイツなどアフリカからの不法移民の急増には政府も対応に難渋している。
古代から圧迫を受け故郷から離散した人々をギリシャ語で「ディアスポラ」と呼ぶ。現代の離散者たちの社会の様相を取り上げると難民・亡命希望者の増加は受け入れ側の民主主義国にとっても治安悪化など反作用が大きい。移民の増加で雇用機会が減り住宅補助などの負担が増している地域も多い。
「日本経済新聞」(6/8)の報道によれば「権威主義国を脱出し国外へ避難した難民・亡命希望者は最新統計の23年末で240万人。避難民の数はシリア内戦が激化した12年ごろから急増し、22年は難民登録者増加数が306万人と過去最多になった。アフリカからギリシャ経由で欧州へとか中南米からメキシコ経由で米国に不法入国し、拘束された人も多い。中国やロシアからの脱出者も相次ぎ23年末で中国が2万人、ロシアが9万人の亡命流出者がいる。中国は不動産バブルが崩壊し、当局が体制批判を厳しく取り締まる。ロシアはウクライナ侵略を始めた22年以降に徴兵を逃れて西側に避難する人が急増した。大規模な人口移動は労働力の流出と体制の不安定化につながり、権威主義国が被る打撃は大きい。一方で受け入れ国側の国でも人種・宗教間の対立や失業、居住費の上昇といった問題を招き、国内混乱の原因にもなってきた。各国とも新たな人口の大移動に手をこまねいたままでは、世界にさらなる分断の火種を広げかねない。」
ちなみに2023年亡命流出が多かった国 ベネズエラ118.5万人、アフガニスタン32.5万、キューバ32万、ニカラガ27.2万、イラク22.4万人。一方亡命希望者の流入が多い国は米国219.5万人、ペルー54万、ドイツ35万、トルコ26.6万、メキシコ26万人となっている。(UNHCRデタの日経分析。四捨五入)。
さて、ロビン・コーエン(イギリス・ウォーウィック大学社会学教授)はアフリカ人ディアスポラについて、「アフリカ系アメリカ人にとってアフリカが非常に重苦しいイメージを持っているということであった。多くの者にとって『アフリカ』は、奴隷化、貧困、屈辱、白人優位、言語の喪失、自尊心の喪失を意味した。ジャマイカ生まれのマーカス・ガービのようなポプユリズムの指導者が訴えてきたことの主要な論点が、この卑しめられた状況や自己嫌悪から脱出し、自尊心と誇りを表明できるようになりたいという切なる要求があったことは当然といえば当然である。」(P79)
アメリカのアフリカ系カリブ人 英語を話すカリブ人だけでも約100万人が移住した。このカリブ人は中流階級の専門家となり、医療、教育、小売業の分野で重要な役割を担った。ニューヨークでは、カリブ人コミュニテイがクリーニング業、旅行代理店、美容院を独占しさらに政治活動においても重要な役割を担ってきた。(P227)
アフリカ文化とディアスポラ文化 ディアスポラの現代音楽は美的で政治的枠内で機能している。トリニダードトバゴのカリプソ、ジャマイカのレゲエ、ブラジルのサンバ、南アのタウンシップジャズ、ナイジェリアのハイライフ、アメリカのジャズ・ラップ。(P241)但し、ポール・ギルロイ(ロンドン大学教授)は、「アフリカ人ディアスポラの意識はアフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカと言う様々な場所において文化や社会が複雑に混ざり合うなかで形成されていくものである。しかしこの混沌から統一的な文化が生まれるのでない。むしろ『国境を超えた通文化的な多様性』が認識される。ディアスポラ文化にはその文化が受けた刺激や意識形態に共通することからある程度の統一性は存在する。」(P242)
なお、筆者が過去に関わった「ディアスポラ」のイベント・セミナーには次のものがある。
・2019年9月21日NGO SESCO アフリカン・セミナー「アフリカのディアスポラ女性と文化」。講師 ジャクソン・キナ(Gochiso株式会社共同創設者)、パターソン・レイチェル(近畿大学国際学部インストラクター)「アフリカを離れて暮らすコミュニテイーは世界中にある。遠く離れた場所、長年の時を経てもなお、その文化とのつながりを継続している。文化の継続に関わる女性に関して、日本やアジアで、どのように新しい伝統を創り出すことを考える。」コーディネーターを務めた。
・2019年10月19日 アフリカ・Meets・関西 「Diaspora & Peace Diaspora & Peace」プログラムはミュージックライブ、サプールファッションショー、ゴスペルライブなど多彩で筆者はフォーラムのコーディネーターを担当した。フォーラムは、ヤノ・デイビット「アフリカの社会課題に向けたチャレンジとその解決策」日本人の父とガーナ人の母親の3兄弟の次男として1981年4月に生まれた。母がマイノリティーとして日本に馴染めずガーナに帰国するも亡くなり、父もやがて死亡。孤児として日本の児童養護施設で生活。現在は矢野ブラザーズとして音楽活動。一方ガーナでは児童養護施設を運営する。自分の人生を考え自尊心・教育・自立支援・スポーツイベントを開催している。次いでウスビ・サコ「サコ先生のニッポンよもやま話」1966年5月マリ共和国バマコ生まれ。京都精華大学学長。話題は、マリでの少年時代、歩んできた道と多文化共生、他者との出会、異文化認識と文化スキマー、移民/労働力の受け入れは人の流入が新しい文化を創るなど。
・2017年11月11日 アフリカ・Meets・関西 「デイアスポラと平和」
・パネリスト : ウスビ サコ(京都精華大学学長) エドワード スモト(ボランティア団体 ミックスルーツ・ジャパン代表)ヤノ デイビッド(ガーナ支援団体・一般社団法人エニシュ代表) センダ ルクムエナ(建築家 グループオルタナティブ代表)
コーディネーター : 深尾幸市(大手前大学 客員教授 NGOセスコ 副理事長)
於:神戸ファッションマート イオホール
余談ながら「日系人の歴史」には強い関心を持つ。外務省の「海外日系人数推計」(2023年10月1日現在)によれば、世界各地には約500万人の日系人がいる。そのうち約300万人が南米だ。国別ではブラジルの約270万人、米国約150万人、ペルー約20万人カナダ約12万人と続く。日本人の移民史は1868(明治元)年に153人が契約労働者としてハワイに渡ったことに始まる。1908(明治41)年4月28日、第1回ブラジル移民船「笠度丸」が781人の移住者を乗せて神戸港を出発した。ブラジル移民を題材にした石川達三「蒼茫」(第1回芥川賞)で知られる。筆者が2000年5月にドミニカ共和国を旅し、12歳の時にドミニカ共和国へ来られた日系一世の日高俊恵さんの話、受け入れ国の無責任から両親の過酷な苦労話は忘れられない。
<引用・参考文献>
「離散・ディアスポラ」「日本経済新聞」2024年6月8~13日
深尾幸市著 『人と地球をたずねて』竹林館 2021年4月
ロビン・コーエン著 駒井洋監訳 角谷多佳子訳『グローバル・ディアスポラ』明石書店 2001年10月
2024.7.10
NGO SESCO 副理事長 深尾幸市