NGO SESCO 論考 NO.51号 黒井千次著『老いの深み』と石原慎太郎他

 世に90歳、100歳と元気に暮らす人も居るがそれは特別と言えるであろう。「老い」に関する本は多い。例えば曽野綾子、佐藤愛子、五木寛之、瀬戸内寂聴 ・・・
 今回黒井千次『老いの深み』を読んで見た。筆者はあと一カ月で85歳になる。80代に入るまでは年齢を気にしなかつたがさすがに体力の衰えには勝てず身体の痛みが増えて来た。黒井千次は腰巻の裏で語る。「老いは変化し、成長する。80代から90代の大台へと足を踏み入れた作家がつづる日常。少しずつ縮む散歩の距離、少量の水にむせる苦しさ、朝ぼんやりと過ごす時間の感覚など、自身に起きる変化を見つめる。移りゆく社会を横目に『ファックス止り』の自分をなぐさめ、暗証番号を忘れて途方に暮れ・・・。一方、年長者が背筋を伸ばしてスピーチを聞く姿に爽快感を覚え、電車の乗客の『スマホ率』など新発見も。老いと向き合い見えたこと、考えたこと。 」目次は次の通り。Ⅰまだ青二才という爽快感 Ⅱ喉につかえることはありませんか Ⅲ危ない近道の誘惑 Ⅳ日記帳は隙間だらけでよし Ⅴ八十代の朝と九十代の朝 


 さて,本書を読み進めると視力の衰え、記憶の衰え、さらに転倒しやすく、起き上がることが大変とあり筆者もほぼ同じ状態だ。とにかく毎日近隣の桃山公園、春日大池を散歩しているが。「老いの現象学」。「散歩をせかす直立の影」では、「どんぐり達が一斉に地面に直立し、人に自分の影の先端を突き付ける、ということがあるだろうか?」とか「八十代の朝は思い出に耽る甘美で優しい時間だが、九十代になると違う、たとえば今何時だろうかと問ういわば散文的な時間になると。「<老い>は単なる時間の量的表現でなく、人が生き続ける姿勢そのものの質的表現でもあることを忘れてはなるまい」と前述の如く「<老い>は変化し、成長する」と結ぶのである。

 なお、NGO SESCO 論考25号(2022.6.10)喪失した3本の柱 ― 西部邁・池内紀・石原慎太郎 ― を大幅削除修正して再録した。2022年2月1日石原慎太郎氏が逝去。西部邁の論考、池内紀のエッセイ、そして石原慎太郎の文学は、我が人生にとって憧れと教訓を与えた同時代の傑物。この三氏の逝去には喪失感が大きい。

西部邁:  2018年1月21日「自裁死」した。氏は筆者と同年1939年生まれの78歳。左翼過激派時代を除き新聞、雑誌、著書、「朝まで生テレビ!」を 通じて後年の近代保守主義の知識や論理には圧倒された。 ・「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友、一冊の良い書物そして一個の良い思い出」の四点セットを語り続けた。「人は必ず死ぬ。時代は必ず変わる。その避けようのない行程の中で、何かを求めて何事も得ずに死んでいく人々の膨大な思い出の数々、それが歴史を支えるのである。」 ・「病院死を選びたくない。おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない。病院死を非難するものではないが。」ナチュラル・デューティだと考える。「旧制一高生、藤村操による日光・華厳の滝への投身自殺。芥川龍之介の薬物自殺。そして三島由紀夫の割腹自殺。これらの自殺は、単に個人の自殺というより、時代そのものが演じた死だ。」「西部氏をこの系譜に連ねての歴史に刻む言葉は、『近代の学問、理論を前にさまよえる日本人。伝統倫理に復せよ』」(保坂正康)と。この「死」を歴史の文脈でとらえる論考に全く納得である。『保守の真髄―老酔狂で語る文明の紊乱』

池内紀:  2019年8月30日に亡くなった池内紀『記憶の海辺』。著者は1940年生まれ、ドイツ文学者・エッセイスト。筆者(深尾)より一歳年下で同時代を生き親和性が強い。ドイツ、旅、人生観、居酒屋などがキーワードに随分教えられる事が多かった。「おぼつかない自分の人生の軌跡をたどって、何を実証しょうとしたのだろう。念願としたのは私的な記録を通した時代とのかかわりだった。(中略)自分に許されたひとめぐりの人生の輪が、あきらかにあとわずかで閉じようとしている。そのまぎわに何とか書き終えた。」とあとがきに書かれている。45歳のとき、東大の教師になり55歳で東大教授を辞めた。3つの予定を立てた。1.カフカの小説をひとりで全部訳す。2.北から南まで好きな山に登る。3.なるたけモノを持たない生活をする。「カフカの小説の全訳に6年かかった。『全6巻・総頁数2400・400字詰原稿用紙4800枚・200字詰をあてたので総数9600枚』。「とにかく全力投球した。そして多くを学び、多くに気がつき、多くの原稿用紙を消費して、視力を大きく失った』」。人と群れることを好まず「仕事の切れ目が縁の切れ目」とうそぶいたが人への優しさは欠かさない。なすべき仕事をし終え、静かに筆を置いて旅立っていった。同時代を生きた筆者も人生を振り返り哀惜の念と共感。『記憶の海辺 一つの同時代史』

石原慎太郎:  1932年9月生まれ。「老化にともない誰にでも現れる不可避な現象は病気ではなしに『生理的老化』と呼ばれる現象で、皮膚の皺、染み、老眼、白内障、難聴、骨量減、動脈硬化、筋肉量の減少など枚挙に遑がありません。」「老いの先には必ず死が待ち受けています。そして死については誰も知らない。故に死は人間にとって最後の未知、未来ということです」。「自分以外の人間の死は皮肉なことに今こうして生きていて他人の訃報を聞き取った己との対比で、ある活力を与えてくれるものです。それは人間の備えたエゴの醜い発露かもしれないが、皮肉な真実、事実でもある。他者の死との比較で確認される己の実在への皮肉な感動は、新しいエネルギーをもたらしてくれる。」「人間は誰しも必ず死ぬのです。それまでの老いをいかに生き抜くかが、その人生の本当の意味をなすことになるのです。」三島由紀夫、川端康成、江藤淳、西部邁などの自死に対し石原慎太郎の「老いと戦う」姿勢に賛同する。「老いてはいても常に新しい生き甲斐を見出し、与えられた天寿を全うすることこそが人生の見事な完成になり得るはずです。」「気品を備えて生き抜く。」これこそ我が目標である。『老いてこそ生き甲斐』

黒井千次 「老いの深み」 2024.8.10

<引用・参考文献>
黒井千次『老いの深み』中公新書 2024年5月
西部邁『保守の真髄』講談社現代新書 2017年12月
池内紀『記憶の海辺』青土社 2017年12月
石原慎太郎『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎 2020年3月

2024.8.10
NGO SESCO 副理事長 深尾幸市

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