NGO SESCO 論考 NO.27号 パリの思い出
― 巴里よもやま話 ―
長引く新型コロナウイルス禍、7月14日はフランス革命を祝う「巴里祭」だった。「パトルイユ・ド・フランス先頭に総勢89機パレード国旗カラーで彩り」と報じられている。今年の1月論考NO20号でロンドンよもやま話を取り上げた。普段は忘却していても何かの切掛けで突然懐かしい旅の記憶が蘇る。今回はパリのよもやま話を取り上げる。初めてパリを訪れたのは1979年2月国際本部に属しアフリカ3ヵ国(アルジェリア、ナイジェリア、コートジボアール)にある合弁会社6工場を巡回訪問の経由時であった。パリの人口は約221万人(2016年)。
パリの街の魅力
パリの玄関口は北のシャルル・ドゴール空港、南のオルリー空港、鉄道では北駅か。パリと言えば、凱旋門、エッフェル塔、コンコルド広場、シャンゼリゼ、モンマルトル、ノートルダム大聖堂、サクレ・クール寺院、ポンピドゥー・センター、カルチェラタンと次々と訪れた個所が思い起こされる。何度か訪れたがセーヌ河クルーズは逃した。が、左岸、右岸の散策は短時間とはいえシテ島、サン・ルイ島を眺めながら心踊る思いであった。
1980年代後半西ドイツ・デユッセルドルフに3年間駐在し、経費節減の為パリまで500㎞自分の車で出張したこともある。さすがに市内を乗りこなす運転技術が無く郊外に駐車し、あとは地下鉄を利用した。パリ・メトロも慣れれば結構便利であった。
エッフェル塔
フランス語で「Lame Dame de fer(鉄の貴婦人)」と親しまれるエッフェル塔。エンジニアのギュスターブ・エッフェル(1832~1923 )が1889年、パリの万国博覧会に際して建てた鉄の塔である。
付き合いのあったポール・レミー( J.P. Remy )に帰国に際し送別会をエッフェル塔上階レストランにて、デイナーをご馳走になり、メニューは憶えていないがワインは美味だった。
ノートルダム大聖堂
2019年4月突然の火災で尖塔や屋根が崩落し200年の歳月をかけて完成したゴシック建築の最高傑作を失ったことは記憶に新しい。旧黒色聖堂は実に荘厳で風格が備わっていた。オペラ・ガルニエのバロック様式の豪華な内装も圧倒された。
ルーブル美術館へはシーズン毎に。日本からの来欧者のアテンドでパリのファッションショーを見学した折には。作品にミロのビーナス、モナ・リザ、ナポレオン3世の居室があった。週末はやはりキャバレーリドー・LIDOやムーランジュール・Moulin Rouge (ロートレックのポスターもいい) のデイナーショーへ案内するのが定番であった。駐在以前に妻とパリを訪れた時にはリドーで調子に乗り聴衆参加の奇術へ財布を預けたこともある。
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。1986年に改修され19世紀美術館として生まれ変わった。駐在の終盤時期2度しか訪れていないけれど地下ホームの吹き抜け構造が残り、鉄道駅の面影が残っていた。作品にルノワール、ミレー、ゴッホなどが豊富に飾られていた。
凱旋門の屋上では池田満寿夫夫人、佐藤陽子氏を見かけたのが何故か印象に残っている。
シャンゼリゼ大通り老舗のカフェ、マンウオッチングも度々した。ペンを貸してくれと声を掛けられたこともある。よくあるスリの一味だろう。上着の背中にアイスクリームを付けられ洗ってあげると財布を奪われたとか、睡眠薬入りジュースを飲まされた話は多い。
モンマルトルの丘のレストラン「アジュール」は最初に訪れただけに記憶に残っている。
エリーゼ宮殿も何度か訪れた。京都府庁のO氏のアテンドをした時は確かパリ市の役人が案内して呉れて説明を受けたが、こちらの理解能力不足と彼の英語力により勿体ないと思ったものだった。もう記憶が定かでないがデザイナー探しのおり、modomのマネージャー G.Tronquetが案内してくれたノートルダム寺院近くの裏町、地元の人たちが集う小レストランの雰囲気は濃厚であった。仏JETROの多田羅徹さんにもお世話になった。婦人服のチェックにプランタン・ファムへも立ち寄り食品店フォションの紅茶とジャムは最高だった。
荻須高徳展を 1986年5月(3/6 ~ 6/22)、パリ近郊サン・ドニの市歴史博物館で鑑賞したが美人の受付嬢と私だけのこの空間独り占めは忘れられない。
・バスティーユ広場 フランス革命が始まった広場。17世紀から19世紀にかけて存在したパリの牢獄。1789年7月14日、パリ市民が王国の武器庫を襲撃しその発端となった。
・サントノレの画廊店主と無名の画家のリトグラフを選別する楽しさも味わった。
・オルリー空港では警察へ盗難届を提出に同行した日本人画家・秋野勝彦氏との挿話。
・コートジボアールにあるユニチカの合弁会社ユテキシの事務所、在パリ女性スタッフ マリス・ギノー ( Maryse Guinot ) にサントノレの街中で偶然出会う。街中で知人との対面とは珍しい。お茶する時間はなかったけれど。
最後に現下、去る6月マクロン大統領が再選されたが「国民連合」党首ルペンも善戦した。フランスも移民拡大で急速に社会変革が起こり、パリは新型コロナウイルス感染者が増加の状態である。重厚なパリの街並、歴史の重みを痛感させた街は続くのか。これから何処へ進むのか関心が深まるばかりである。
引用・参考文献
『地球の歩き方 パリ ’86 ~ ’87』ダイヤモンド・ビッグ社 1986年2月
『タビトモ Paris 』JTB パブリッシング 2020年1月
2022.8.10
SESCO 副理事長 深尾幸市