NGO SESCO 論考 NO.22号 大阪中之島美術館開館記念展を鑑賞

NGO SESCO 論考 NO.22号 大阪中之島美術館開館記念展を鑑賞

― 佐伯祐三作品8点を中心に ―

春風が感じられる3月2日(水)大阪中之島美術館「超コレクション展―99のものがたり―」を観に出掛けた。中之島美術館は2022年2月に開館。大阪市の財政難から40年間も待たされてのコレクション展である。当日の入場は時間制限、12:00で30~40人ほど列をなしていた。
入口を入るとSection1-1 コレクションの礎となった寄贈作品コーナー。佐伯祐三の「彌智子像」「パリ15区街」「壁」「レ・ジュ・ド・ノエル」「街角の広告」「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」「煉瓦焼」「郵便配達夫」8点。今までも機会あるごとに各地の佐伯祐三展へは足を運んできたが、今回の再会も心が躍った。例えば「郵便配達夫」は、明るい黄色と濃い橙色をバックに黒の制服が鮮明であるし、「街角の広告」はパリの雰囲気と息づかいが見られて、いつもながら嬉しくなる。飽きない。

大阪・北野中学で、佐伯と同級生だった元兵庫県知事・衆議院議員坂本勝が追跡した『佐伯祐三』(天才画家の失踪と死の謎を追って、その夢と涙をさぐる・・)伝記を読んだのは昭和45年(1975)頃であった。本書はドキュメントで佐伯祐三という悲劇的人間像を浮彫にするとともに、その芸術の本質を掘り下げている。表紙の<レストラン(オテル・デュ・マルシェ)>が渋い。目次から印象に残るキーワードを列挙すれば、暁の失踪、クラマールの森、淀川の堤、仏縁の譜、父祐哲と子祐三、藝術の都へ、ヴラマンクとの出会い、白製のカンバス、高楼の宴、佐伯祐三の手紙、帰国の途へ、モチーフにならない日本の風物、シベリア鉄道―再渡仏の道、モラン、喀血前後、失踪事件、荻須高徳の日記、縊死未遂事件流布の真相、セーヌ県立エプラール精神病院、孤独地獄、絶命。実に素晴らしい伝記だ。

元に戻って本展では、佐伯祐三の他に師匠のヴラマンク「雪の村」、弟子の荻須高徳(注1) 「エドガール・キネ街」、ユトリロ(注2) 「グローレの教会」が一点ずつ出展されている。いずれも大好きな作品だ。
Section1-2 大阪と関わりのある近代・現代美術―近代絵画では、赤松麟作「裸婦」、土田麦僊「伊豆之海」、小出楢重(注3) 「裸女の3」「菊花」が懐かしい。同1-3は吉原治良、今井俊満を始めとする写真を多数展示している。
Section2 Hello Super Stars では、超話題のモディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」、ジャコメッテイ「鼻」、パスキア「無題」が注目される。
Section3-1街角の芸術では、ロートレック「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」、ボナール「フランス・シャンパン」が好い。
その他、「都市と複製の時代」、「ペルソナ・プルーラリズム」、「大阪と関わりのある近代・現代美術―版画、戦後美術」とじっくりと鑑賞するには時間と体力が要ると痛感させられた。
詰め込まれた数々の近現代美術史を彩る名作コレクションを堪能して漆黒の長方体を後にした。満悦満足。

佐伯祐三の略歴
1898年4月に大阪市内 光徳寺の次男として生まれる。
1918年 東京美術学校西洋画科予備科に入学。
1921年 東京銀座の象牙細工問屋兼貿易商の娘、池田米子と結婚。
1924年 26歳。初めてパリへ。滞在中は里見勝三、小島善太郎などと交流が深まり、セザンヌ、ヴラマンクに傾注した。
1926年 日本に帰国。「二科展」などで佐伯の作品については評価と批判が相半ばした。
1927年 再度パリへ、モンパルナスに居を構える。当時多くの日本人画家が活動していたが「絵画談義」には参加せずやや孤独なタイプとみられた。
1928年8月結核と神経衰弱がひどくなり郊外の精神病院に入院後死亡。同月愛児の彌智子も死亡した。

引用・参考文献 
坂本勝 『佐伯祐三』 (株)日動出版部 昭和45年1月

(注1)1987年春、パリ郊外サンドニの画廊で鑑賞した荻須高徳展は忘れられない。
(注2) 2018年6月 UTRILLO VLAMINCK OGUISS展 ギャルリーためなが大阪。 弊著『人と地球をたずねて』(竹林館 2021年)138頁
(注3) 小出楢重は筆者が卒業した府立高校の大先輩で母校にも作品が残されている。

超コレクション展 99のものがたり 2022.2.2~3.21
佐伯祐三(郵便配達夫)1928 大阪中之島美術館蔵
大阪中之島美術館4階から眺めた堂島川
大阪中之島美術館 入口

2022.3.10
SESCO 副理事長 深尾幸市

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