NGO SESCO 論考 NO.15 東京2020五輪・パラリンピックについて

NGO SESCO  論考 NO. 15

東京2020五輪・パラリンピックについて

7月23日から始まったオリンピックは日本選手の大活躍(メダルの数、金27 銀14 銅17 )の中8月8日に閉会した。残すはパラリンピック(8月24日~9月5日)。新型コロナウイルス禍(下)開催の賛否両論、直前の不祥事発覚、右往左往した問題の多い五輪であった。

思い起こすに筆者が入社した翌1964年の東京五輪でニチボー(貝塚)が「東洋の魔女・回転レシーブ」の女子バレー優勝は当時を知る人々には忘れられないだろう。しばしば引用されている作家の三島由紀夫もソ連をやぶり金メダル獲得した瞬間「日本が勝ち、選手たちが抱き合って泣いているのを見たとき、私の胸にもこみ上げるものがあったが、これは生まれてはじめて、私がスポーツを見て流した涙である」とつづっている。(講談社編 「東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典」)。新型コロナウイルスの蔓延が世界で続く中、感染抑止に一定の成果を上げている国もあり対応は様々だ。ゼロコロナが望めないのも現実だ。欧米諸国が「ウイズ・コロナ」(コロナとの共生)の中、例えば大谷翔平選手の活躍する米国メジャーリーグ・スタジアムや英国でのユーローサッカーは「有観客」、通常通り盛り上がっている。東京の「無観客」は残念であつたが五輪はやってよかったと思う。有力候補者の失敗、肩を落とす人、痛みへの共感、新星の誕生、勇気への賛美、戦友との連帯は、国内外の勝者に、敗者に、そこに至るドラマの数々に魅了された。コロナ感染も自宅でのテレビ観戦が人流抑制になった事でもあるし。

近代オリンピックの創始者クーベルタンの「オリンピックの目的は勝つことではない。参加することだ。」世界中から優れたアスリートが集まり、走り、跳び、投げ、泳ぎ、闘う競技にこそ人々に感動を与える。競技が終われば人々の国際交流が待っている。繰り返すがスポーツはアスリートの限界への挑戦に在り多くの感動を与えて呉れる。

そこでオリンピック再考である。慶應大学名誉教授池井優氏の提案を紹介したい。

  1. 開催地の固定化。ギリシャのアテネでもよい。環境、施設、安全、観光客受け入れなどすべての条件を備えた都市に恒久的な競技のための場所を設定する。
  2. 開催の時期を真夏から競技者にとってベストコンディションとなる秋に移す。米国のビッグマネーのスポンサーでなく地味な運営でよいから世界中から五輪賛同基金を集めればよい。
  3. 原点に立ち返り自国選手のメダル獲得期待より薬物の力を借りてまでメダルを目指さない。

皆さんはどの様に思われますか。

追記 : 先月の論考「新型コロナウイルス禍・ワクチン開発・少子化問題」の中で触れていない「ゼロコロナ」について付言したい。この約2年間各国政府は研究・調査と経験からおおむね状況判断が出来るようになった。コロナリスクに最大限の注意を払いつつも「自粛」にともなう鬱病のリスク、貧困やDV、自殺の増大リスク、教育機会の損失、社会・経済被害の拡大リスクへ目を向けることが必要である。現今社会を惑わす課題はTV、専門家、政治家の三者がそれぞれ公益を度外視したご都合主義で「ゼロコロナという病」(藤井聡)を蔓延させてしまったことにある。ゼロコロナの愚かしさを認識したい。 

 2021.8.10

SESCO 副理事長 深尾幸市

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